社史

「奈良機械製作所 100年のあゆみ」

奈良機械製作所は創立して以降、
日々お客様のニーズに応えるために
努力を続けてまいりました。
その情熱は一貫して粉粒体技術の
開発・発展、近代化という未開拓の分野に向け、
創業の精神を具現してまいりました。
変化をつかみ、進化を続けたわたしたちの
100年の軌跡をご紹介します。

HISTORY

創業期1924~1942年

奈良商店として創立後、古河理化試験所農薬工場の小畑技師からカゼインの粉砕依頼を受け、粉砕機の開発を開始した。
その後、国内初の高速回転式衝撃剪断粉砕機しょうげきせんだんふんさいき
第一号機の製作に成功した。
ここから、奈良機械製作所の歴史が始まった。

創業機

1927年
国内初の高速回転式衝撃剪断粉砕機しょうげきせんだんふんさいき第一号機が旭電化工業㈱(現 ㈱ADEKA)の本社工場に納入された。
衝撃力と剪断力という粉砕メカニズムによって熱の発生を抑え、迅速かつ大量の粉体加工を実現した
粉砕機は、鉱物、薬草、食料品、染物、飼料などの広範囲の材料の粉体加工に使われた。

1930年
品川区鮫洲に工場用地110坪を借り、自社工場・事務所を建設開始した。
そして同年の11月に社名を奈良商店から奈良機械製作所に変更した。
それまでは機械付属品及び工具の販売業が主な事業内容であったが
社名変更により機械製造メーカーとしての第一歩を踏み出した。

自社工場・事務所を建設開始

発展期1943~1973年

この頃には粉砕機年間生産台数が300~400台になり、創業者の奈良自由造は発明功労者として藍綬褒章らんじゅほうしょうをはじめ数多くの賞を受章する。
日本国内の高度経済成長期に伴い、奈良機械製作所の製品が
多く世に輩出された影響もあり、皇太子殿下(現上皇)が工場
視察に訪れ、当時ニュースとしても報道された。
この出来事は企業の技術力と革新性に対する皇室からの高い
評価と解釈され、全国的に知名度を上げた。

発展期

1950年
ビルマ(現ミャンマー)で行われた国際連合食糧農業機関(FAO)主催の第1回食糧機械展示会に戦後初の海外出展・
出張を果たした。
日本食品工業会が国庫扶助を受けての戦後初の海外交流
であり、展示会終了後は販路開拓を企図した。
この出来事は、戦後の日本経済復興の象徴の一つとなった。

1969年
伝導伝熱型溝型撹拌乾燥機「パドルドライヤ-」の製作・販売を開始した。
石油化学のみならず多くの適用業界の発展に寄与している。
パドルドライヤーを含め数多くの乾燥機を開発したことで、
当時の奈良機械の経営に大きく貢献した。

自社工場・事務所を建設開始

安定・拡大期1974~2024年

毎年安定した装置販売を維持し続けながらも、高速撹拌型混合造粒機「ミキサー&グラニュレーター」や乾式・衝撃式超微粉砕機「コスモマイザ-」
微粉体表面改質装置「ハイブリダイゼ-ションシステム」など数多くの製品を開発、販売した。この時期に工場・事務所を現在地(大田区城南島)に新設・移転し、奈良機械製作所は一貫して技術中心の「開発型企業」として歩みを続けている。

1986年
粉体表面改質装置「ハイブリダイゼーションシステム」を開発した。
この製品は微粒子分散系複合材料を研究していた当時東京理科大学の小石眞純教授の
「6μmのナイロン粒子表面に0.3μmの二酸化チタンを固定化したい」という一言により始まった。
当時、各種業界が新規機能性材料の研究開発を進めていた時代背景もあり、販売開始と同時に各種業界より注目を浴びた。

粉体表面改質装置「ハイブリダイゼーションシステム」を開発

2020年
弊社の粉砕機第一号機が日本機械学会2020年度の「機械遺産」第102号として、認定された。
日本の技術や産業の発展に貢献した歴史的な意義を持つ機械技術に対して与えられる称号であり、弊社の技術が歴史的も認められたという証明でもある。
100年が経過しようとしている現在でも創業者が開発した粉砕機は、産業の発展に大きく貢献している。

粉砕機第一号機が日本機械学会2020年度の「機械遺産」第102号として認定 詳しく見る
粉砕機第一号機が日本機械学会2020年度の「機械遺産」第102号として認定
粉体表面改質装置「ハイブリダイゼーションシステム」を開発
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